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剣は悪魔を降参させるものとして、鉾や槍とともに信仰の対象らしい。
もちろん、人命を断つ実際威力からきているものだが。
鉾などが密教の法具となるように、不動明王の利剣などがある。このように怨霊調伏、悪霊を追い放つなどの超自然の力を持つものとして刀剣は他の武器以上に神格化させれている。
剣は漢音で「けん」だが「つるぎ」と同じで諸刃の太刀のことをいう。のちに片刃がでてくるようになって、両刃も物を特定するようになった。剣は「吊佩(つりはぎ)」の約という。古くは太刀の緒を長くつけて、足の頸までたらしていた事から「御佩刀(みかはし)」ともいう。


いろいろな剣
さて、「平家物語」第十一 剣の巻には古代に三つの霊剣があり、一つは「十握剣(とつかのつるぎ)」「天蠅斫剣(あまのはえきりのつるぎ)そして「草薙剣」であるという。
けれど今現在の「草薙剣」はレプリカ、いわゆるコピーでオリジナルは安徳天皇とともに沈んでしまった。
「草薙剣」の剣が天皇の剣とするならば皇太子の剣は「壺切剣(つぼきりのつるぎ)」である(略してつぼきり)。
もともとは漢の張良がもっていた剣で名将剣ともいうらしい。
はじまりは平安時代太政大臣藤原基経が、その父長良(ながら)より譲り受けたものを宇多天皇に献じ醍醐天皇の立太子の時に天皇から授けられたのは始まりという。
それがら後年。内裏が焼失し、刀身だけになってしまったので柄と鞘を作り直したという。
鬚切と膝丸。

源氏多田満仲が天下を守護するように勅宣をうけたとき天下の守りには良い剣が必要という事で、鍛冶師に太刀を打たせた。鍛冶師は八幡大菩薩に祈願したところ、60日鍛練すれば、汝に二つの剣を与えようと託宣があり、それに従って出来上がったのが二尺七寸、漢の高祖の三尺の剣にも匹敵する業もの。
さっそく満仲は罪人で試し切りすると、一本の剣は鬚まで切ったので「鬚切(ひげきり)」もう一つは膝まで切ったので「膝丸(ひざまる)」と命名。
その後頼光につたわるが、頼光四天王の1人渡辺綱に鬚切をあずけ、鬼(茨城童子)の腕を落とした事から「鬼切丸」と呼ぶようになった。しかし、この剣は平治の乱のとき清盛に奪われ、後白河天皇に献上された。そして源頼朝が天下を納めた時、法皇にかえされた。

頼光の刀

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膝丸についても逸話がある。
頼光が病を患って30日もおよんだ。ある夜、幽かなあかりの影から長さ七尺ばかりの法師がするするとあゆみよって縄をさばいて頼光にかけようとしていた。
頼光はおどろいて飛び起き、誰何し、膝丸をつかんで法師をきった。

四天王達も駆寄ると、灯台の下に血がこぼれている。灯りをもって痕跡をたどっていくと、大きな塚まで続き、中に入ってみるとなんと大きな土蜘蛛がいた。四天王達は頼光のもとにもっていって頼光にみせると「これが病の原因だったか」といい、鉄に串にさらして大路にさらしたという。
膝丸は蜘蛛をきったので「蜘蛛切丸」と呼ぶようになったという。