第一章・蒼海へ

 この世に生まれる以前いぜんからボクは一人ではなかった。
 心地よい母胎ぼたいのなかには君がいたのだから。
 ボクたちは双子ふたごとして生まれた。
 同じ魂や姿を分かち合った君。
 母胎ぼたいにいたときと同じようにボクたちはこの世に生まれ落ちてからもしばらくは本当の姿で意識いしきはしていなかった。
 ――魂で意識いしきをしていたのだとおもう。
 そして、会話をしていたね。
 ……どうして、君はうまれてきたの?
  どうして、同じ顔をしているの?
 君も同じ事を繰り返しいたね。
 でもボクはそれが無性に腹が立ち、君の手に噛み付いた。
 そうするとかならず、ボク達を世話してくれる女の人があわてて引きはなしたね。
「だめですよ、ケンカしちゃ…。………あらあら? どちらが、姉姫あねひめでしたっけ?」
 女の人たちはほとんど見分けがつかなかった。
 でもただ一人だけ…ボクたちの母親だけはすぐに見分けがついて、抱きしめてくれた。 今は懐かしく暖かいかいなの安らぎの中に。

 ――幸せ、ただ幸せだった。

 みんなが居て、遊んでくれて。
 そして……うまれた時から一人じゃなかったから。

 無邪気むじゃき微笑ほほえんでいられた。

 でも、その幸せは長く続かなかった。

 ――異様いよう胸騒むなさわぎがする夜だった。

 ボクは、となりねむる君を不安ふあんにかられ起こそうとしたときだった。
 ひょい、と体を持ち上げられた。
 とたん、不安がつのり、大声で泣いた。
 君も大声で泣叫なきさけんだ。

 ……離れたくない、離れたくない! だれか、だれか!

 魂が引き裂かれる。

 いやだ、恐い、痛い!


「だれか!」
ボクは叫んでベットの上で目をさました。
 涙が目尻めじり辿たどり、まくらにシミをつくっていた。
 まだ、ドキドキしている胸に拳をおいて、何度か深呼吸する。
気付いたら汗も大量にかいていた。
「また、あの夢……か…」
 ボクは前髪をかきあげてまだ夜があけない窓辺に近寄り窓をあけた。
 秋の夜風が部屋を巡る。
 とても涼しい…汗や気持ちをしずめてくれた。
 ――最近…同じ夢ばかりみている……。
 ボクは輝く明星を見上げつぶやいた。
「君はボクの存在を知っているのだろうか?」

      ★ ☆ ★

 ――太古たいこの昔、神々は邪竜じゃりゅうとの戦いで勝利を収めた。
 けれど邪竜は死したわけではない。
 いつまた復活するか解らない。
 そこで大神は竜を球体に閉じこめた。
 二度と空に羽ばたかぬようにと釘打くぎうたれ、竜は咆哮ほうこうをあげながら涙を流し、その涙と流血する青い血で自らの身体をひたした。
 竜は絶望しながら激痛げきつうに気を失った。
 ……そして神々は自分たちと同じ姿をした人間を創り竜の封印が解けぬよう見張らせた。
 それから、幾千年が経ち、人間はその使命を忘れ竜の身体に国をつくり、土地を奪い争うようになった……。
 竜は人間の争い騒ぐ声に気がついて身体をふるわせた。
 それは竜にとっては少し身体を動かしただけにすぎなかったに違いない。
 けど、人間たちにとっては国をも崩壊ほうかいさせる大地震だった――。

 ボクは本を閉じてため息を吐いた。
 なんてファンタジックな歴史なんだろう。
 ボクはこういう物語を読むのは好きだけど読み進めていくうちに苛立いらだちを覚える。
 なんせ、この本のタイトルは『創世大陸』といってどうやって大地が創られたかとかとか書かれている本なのだ。
 作者は世界中を旅し、この本を書いたと記してるけれど……。
「ねえ、ラルス、何で本を閉じちゃったの? もっと読んでよ? 今ちょうど面白くなりそうだったのに」
 ボクの朗読ろうどくを聴いていたカイは不満げな面持ちでいてくる。
 カイは表情の少ない十歳の子供だけれど本を聴くのと絵を描くのが好きで、今もボクの話を訊きながらスケッチブックに筆を走らせていた。
 どうやら竜が大地になる下りを絵に描いていたらしい。
 ボクはもう一度ため息をついて首をふった。
「この本デタラメなことばかりかいてるんだもん」
「え? デタラメ?」
 驚き目を瞬くカイ。
 ボクは「ほら、」といって挿絵をみせる。
 その挿絵さしえ繊細せんさいで綺麗なことはみとめるけれど、解せないのは、挿絵の下についている簡単な説明書きキャプション
 ――私が実際にみた東国アスリアの人――
「わー東の国の人って胸に目と鼻と口があるだね」
 感歎をあげるカイ。
「そんなわけないでしょう。たしかに大地は竜の形をしているってことは認めるけれど。現にボクは東生まれ、東の国アストリアには首なし人間が住んでいるとか、中央の国ナトリアの城は巨大な亀の甲羅こうらにあって移動しながら住んでいるとか……」
 本を投げ捨てたい衝動しょうどうにかられたけれどこれは図書館で借りたもの。
 しかもなかなか人気があり、次の利用者も相当いるからそうはできない。
「そこが、面白いところでもあるんじゃない?」
 カイは珍しく苦笑をうかべてそういい、ボクもそうかも、と同意して見せた。

 ――ボクの名前はラルス・カスシス。
 リーリア国の貴族・カスシス家の長女として暮らしている。
 リーリア国は ――この『創世大陸』の本の言葉を借りれば竜のひたいの部分、最西端にある。
 他国との国境はピレネ山脈によってくぎられ国土のほとんどが海に面している。
 そのため開国当初から貿易が盛んで、また、他国の文化を寛大に受け入れているので現在さまざまな思想文化しそうぶんかが謳歌している。
 小国だけれど貿易によって築かれる莫大な利益で国は豊かにうるおい、他の国の人々とくらべれば国民は不自由のない暮らしをしていた。
 カスシス家は特に『カスシス商会』として貿易を営んでいる。
 お爺さまの代に初めて東航路ひがしこうろが発見され、それからは東の果てまで貿易のシェアを広げている。
 ――ボクは遠い東の国アストリアで生まれた。
 黒い髪に黒目がちの瞳、今年で十六歳になるというのに十二歳ぐらいに幼く見られ、リーリア人や西の諸国ラストリアの人に比べて肌が少々黄色い。
 この容貌は東の国の人間だという証拠だった。
 ボクは東国アスリア中南国エルリアの間にある港町のギルドに預けられていたけれど、二歳の頃にお爺さまとお父さまに貰われた。
 だからボクはカスシスの血は引いていないけれど両親やそしてボクの大好きなゲイル兄さまは本当の家族のように慈しみ育ててくれた。
 ボクは家族やそしてこの国も大好きだけれど最近、異様にむなしく感じる。
 もう一人のボクを思い出す事が多くなったときから、あの夢を見るようになってから……。
 ボクには生まれる前の記憶があった。
 学者によれば、それはとても珍しいことなんだという。
 心地よい母胎ぼたい…赤い記憶、そして会話。
 この世に生まれ出てはじめてみた生母ははの顔と安らかなかいな
 そして――もう一人のボク。
 昔はよく思い出すことができたのに、今では断片的なことしか思い出せなくて、もちろん赤ん坊だったボクが一体どこの何者かは知らないけど。
 あの魂が引き裂かれるような別れ方はいまも心の深い傷となっているのは確かだった。
東の国アストリアか……、行ってみたいな」
 ぼそ、とカイがつぶやいた。
「カイ?」
 ボクはドキ…としてカイをふりかえる。
「ぼくね、絵を描くのが好きなの。で、こう話をきいて絵を描くのも好きなんだけど、いろいろな国の絵を描いてみたい……そうすればさ、夢見ている人たちの考えが変わるとおもうんだ」
 頬を上気させ、夢をかたるカイをボクは微笑ましくおもった。
 カイもボクと同じ境遇にある。
 カイはカスシス家の遠縁にあたる子供だった。カイの両親は事故でなくなりひとりになったカイをお母さまが哀れに思いカイを引き取った。
 カイの場合は今まで酷いことされてきたのだろうか、カスシス家に来た当初、誰にも心を開こうとしなかった。でも今では心をゆるし少しずつ表情がでてきてお母さまなんかは、
「もう、笑うとゲイルよりすごく可愛い!」 といって溺愛している。
 実際とても愛らしい顔をしていて、金の髪に、透き通る肌、華奢で大きな瞳はアクアマリンのように澄んでいる。
「うん、そうだね。カイの絵はとても魅力があって吸い込まれるものがある、きっとカイが世界中の国の絵を描いてみせれば納得するよ、……そうだ!」
「ラルス?」
「ゲイル兄さまの船に乗せてもらうってのはどう!」
「ええ!」
 カイは大きく目を瞠り、ボクはにっ、と微笑んだ。
「ボクも実は東の国アストリアを見てみたいとおもってたんだ! カイと同じでいろいろな国をみてみたいって。兄さまに頼めばなんとかしてくれるかも。たしか兄さまが今度、父さまの代わりに東の国アストリアまで貿易に行くとかなんとかいってたような気がするし!
 ――よーし、思い立ったらすぐ行動!」
 ボクは立ち上がりドレスを捌きながら早足にゲイル兄さんの部屋に駆け込む。
 カイもあわててボクのあとを追う。そして心配そうにつぶやくのが聞こえた。
「乗せてくれるとはおもえないけど……」

        2

「だめだ」
 ゲイル兄さまはめずらしく厳しい口調でボクの申し出を却下した。
「ほらね、ラルス…」
 そういうカイも心なしかガッカリとしているようだった。
 ゲイル兄さま――ゲイル・カスシスは今年二十四歳。
 よく日に焼けた肌と、しなやかで鍛え上げられた体躯。
 貴族としての気品も兼ね備え、長く艶やかな金の髪を蒼いリボンで緩くしばっている。
 眉目秀麗な顔立ちは、リーリア国中の女達の憧れの的。
 かくいうボクもゲイル兄さまに恋をしている一人なんだけど……。
 兄さまは航海士学校を若干十五歳という若さで卒業したあと五年間は海軍に身を置き一艦隊を任せられるほどの地位に登りついた。
 にもかからわず、突然海軍を辞め二年間どこかで旅をしたあと昨年、家にもどってカスシス商会を継ぐことを決意した。
 ――何があったのかは、よくわからない。
 お爺さまは「この風来坊ふうらいぼうめが!」と怒鳴っていたけれど、あとを継いでくれると知ってとてもよろこんでいた。
 そして今回兄がはじめて東の国アストリアへ貿易に行くことになったのだ。
「どうして、だめなの?」
 ボクはしゅん、となって訊ねると、兄さまはため息を吐いていう。
「あたりまえだろう、可愛い妹を船にのせられるわけない、船は過酷なんだぞ!」
「でも一度でもいいから船にのってみたい」
「なにをいってるんだ、船なんて何度ものってるじゃないか」
「近海は、でしょ。ボクはもっと広い世界をみてみたい」
 兄はクールブルーの瞳でボクを見据みすえた。
「お前、東の国アストリアに帰りたいのか?」
「え?」
「生まれ故郷が懐かしくなったのか?」
「ば、バカ言わないで兄さま!」
 ボクは異様いようあせりにかられた。
 帰りたいとは思ったことはない、『行ってみたい』とは思っていても!
「第一、ボクはどこで生まれたかなんて覚えてないし、もう、物心ついたときにはこの家にいたんだよ!」
 うそだ、
 と自分でもおもった。
 過去の記憶はある。鮮明せんめいに。でもどこか抜け落ちてしまっているけれど。
「ボクは、ただ兄さまと世界をまわってみたいんだ」
「ラルス」
「――ボクは兄さまと離れたくない! 昔兄さまいってくれたじゃない、一緒に世界を見に行こうって、いまがその時じゃないか!」
 ゲイル兄さまはじっとボクを見つめ続けていた。その眼差まなざしがボクの心を――ボクでさえ気づいていない心を見透みすかしているようで、急に怖くなった。
「ボクは、何があろうと、船に乗るからね!」
 ボクはそうつよく言い置き、部屋を訪れた時と同じぐらいの勢いで部屋を飛び出していった。

      ★ ☆ ★

 ボクはベットでうつぶせになって兄に言ったことを思い出して落ち込んでた。
「ねえ、さっきボク、混乱してたよね」
 椅子にちょこんと座りながら絵をかいているカイに訊ねた。
「うん。なんかちょっと逆ギレな感じした……」
 少し遠慮がちにカイはいう。
 微かにお母さまの歌声が部屋に届いた。
 それが子守歌になっていつの間にか眠ってしまった。
 でもきっとそれはカイが居てくれるからだと思う。
 この子はいつも人の心を察してそばにいて欲しいときはさりげなく居てくれるし、居て欲しくないときは「元気だしてね」といって少し離れた場所で見守ってくれる。
 可愛い弟…。

      ★ ☆ ★

 夕日が沈み燭台しょくだいの灯りがともされる時刻に、
「ねえ、ラルス起きて!」
 カイの慌てた声で心地よい眠りから目覚めた。
「ん……?」
「コシモさまが話あるって」
「父さまが?」
「うん! 船に乗ってもいいって!」
「え!」
「だから早くっ! 起きないならこの話はなかったことにするって!」
「起きる!」
 ボクはカイの手をとってお父さまの書斎にむかった。
 その書斎には各国の珍しい置物がおかれ、書斎机には貴重な世界地図がガラスの下に貼ってあった。
「おお、ラルス、寝ていた所わるかったかな?」「いいえ、父さま!」
「そうか…」
 口ひげをなぜながら穏やかな笑みをくれる養父――コシモ・カスシス。
 昔はお兄さまと同じぐらい美形で格好良かったけれどここ二、三年丘暮らしが続き家族達との幸せな生活にちょっぴり中年太りがすすみ気前のいい、かっぷくのよさがにじみ出てきている。――お爺さまに似てきたと行ってもいいかも。
 この書斎には兄さまと母さまが父さまの両隣にたっていてボクを見つめていた。
「ゲイルから話をきいた。ラルスは東の国アストリアへいきたいのかな?」
「うん! じゃなかった、……はい」
「いいよ、そうあらたまらなくて。わたしはいい機会かもしれないとおもったのだよ」
「いい機会?」
「そう、お前はきっと故郷こきょうを懐かしく思っているんじゃかいかとね…、最近物思いにとらわれることがあるようだったから」
「そんな、ボクは」
「素直になりなさい、ラルス」
 義母はは、アルディル・リースが柔らかに言う。
「母さま」
「普段明るいお前が、最近どこか悩んでいるふうがおおい。でもあなたはなにも語ろうとはしてくれない、きっと東の国アストリアに帰りたいのだとおもったのよ」
「ち、違うよ、母さま。それは夢をみて……」
 いってからボクはハッと口を押さえた。
「夢?」
 四人がボクをじっと見つめる。ボクは観念して今まで隠していたことを告げた。
「……実はボク、ここに来る前の昔の記憶があるんだ。生まれた時の、ううん、生まれる前からの記憶も。
 ――ボクは双子だったんだ。
 でもボクが誰の子であるかまではしらない。
 赤ん坊だったし、記憶が前後しているものもあるから。
 でも最近、ボクと片割れが離ればなれになってとても苦しい夢をみるだ。きっと東の国アストリアへいけば理由がわかるかもしれないとおもって……、うん、これが正直な気持ち。気持ちをハッキリさせたいから船に乗りたいというのが、ボクの正直な気持ちです」
「ラルス」
「あ、勘違いしないで、ボクはたとえ血がつながって無くとも『コシモ・カスシスとアルディル・リース』の娘だし、ボクは、母さまも父さまもゲイル兄さまも、そしてカイもみんな大好き、愛してる! 向こうにとどまろうとは思ってないよ!」
 なんとかしんみりしちゃっている雰囲気を盛り上げようと努力する。
 それをくみ取ってくれたのが兄さまで、ぎゅっとボクを抱きしめてくれた。
「よし、わかった。お前は大切な家族だ。たとえお前がどんな理由で東の国アストリアに留まるようなことになったとしても、俺がかならずリーリアに連れ帰ってやる。約束だ!」
「兄さま!」
 つよく抱きしめてくれる兄さまにどきどきとときめきながら感謝でいっぱいだった。
「ゲイル任せたわよ。ちゃんと兄妹三人で戻ってくると私たちと約束よ」
「はい、誓います母上」
 その言葉にボクとカイは驚いた。
「ぼくもいってもいいの?」
 カイは養父母にたずねる。
 二人は微笑んだ。
「ほんとうはまだ幼いお前を航海にはだしたくはないんだが、『可愛い子には旅をさせろ』というし、カイのすばらしい世界の絵を是非私たちにみせてほしい、」
「ホント!」
 紅潮しておどろくカイの頭を愛しくなざならが母さまはいう。
「ええ、だから、行ってらっしゃい」
「ありがとう、とうさま、かあさま」
 ボクたちはカイのその言葉に目を瞠った。
 カイはいままで『コシモさま』『アルディルさま』と呼び、とうさま、かあさまとは呼ばなかったからだ。
「カイ!」
 養父母は同時にカイをだきしめて涙した。

        3

 ――船の名前はラティナ号

 と兄さま、いや、『兄さん』は教えてくれた。
 出航の許可を得てから一ヶ月、今日はリーリア出航日だった。
 出港する港は南の港・リンストン。
 たくさんの帆船が来航する、リーリアでも有数の港町。
 何度かこの港町に来ているけれど相変わらずの大にぎわいだ。
 学者や研究者などがこの港で語り合う姿はめずらしくないけれど、他国だと異端だとして捕らえられてしまうことがあるんだという。
 リーリアは基本的に無宗教で先王が、
「神の教えを人に押しつけるものではない、」と説いた。
 たとえば海を往くものは海神や、リーリアの地を見いだしてくれた女神リー・カイディスに旅の加護を祈る。
 陸を旅するものは大神アレクやまたは竜神シル・アークに旅の安全を祈る。
 つまりは多神教国家。
 それにこの国には貿易が盛んで開けているためリーリアとの混血の人もたくさんいる。
 ――でも東国人アスリアは珍しい人種。
「やっぱり、ボク奇異な目で見られてる気がする。まぁ…なれてるけど」
東の国アストリアに行けば俺たちのほうが奇異にみられるよ、いつも」
 苦笑して兄さんはボクの頭をなぜる。
 黒髪で肌の黄色い「少年」。
 兄との約束でボクは船では「少年」として扱うと約束をしていた。
 ボクとゲイル兄さんは釦のたくさんついたカスシス商会の制服をきている。
 その服はどことなく海軍の制服にもみえなくはないけれど海軍の制服は赤、カスシス商会の制服基調は青なので見分けることができた。
「一応、船のものには妹が乗ると伝えてあるがあくまでも、男として振る舞うようにな」
「海賊対策のため?」
「そう、可愛い妹を海賊には渡せない。だから男と偽っていた方がなにかと都合はいいのさ」
「でもカイのほうが女の子にみえなくない?」
「いえるかも」
「ぼくはちゃんとした男の子だよ。ラルスの方が子供だと思われるんじゃないの?」
「あ、言うようになったね、カイ!」
 はしゃぐボクたちを微笑ましくみつめながらゲイル兄さんは付け加える。
「ちゃんと船であてがわれた仕事はこなせ、働かざるものは食うべからずだ」
了解アイサー! 提督ていとく
 幼い声と少女の和声わせいがこたえる。
「よろし、あ…、それとお前達のほかに、俺の船に乗船する少年がいる」
「え! 兄さん、それ初耳だよ」
「ああ、俺も今日連絡うけてな、少々戸惑っている……:」
 ゲイル兄さんはちょっと苦笑してみせた。

 カスシス商会の船は三隻。
 一隻は一般的な商業用の船で、あとの二隻は一回り小さく一マストの船。
 主船メイン・ラティナ号は三マストで、いまは帆が降りているので壮麗さは窺えないけど、蒼海にそして澄んだ青い空を往く帆船はとても美しいってボクはしっている。
 なのに。
「小さい船だな。カスシス商会の船だというからガレオン級のものを想像していた、期待はずれだ」
 甲板で本当にがっかりしていう声が聞こえた。
 ふり返ると気品があるがどこか傲慢そうな少年がたっていた。
 そのうすい唇に嘲り微笑が浮かんでいるのをみつけた。
 ――なんなの、この子。
 ボクはなんとなく気にさわって、その少年にいった。
「ねえ、君、そんなに嫌なら別の船乗れば?」
 少年は細い眉を怪訝によせた。
「なんだこの子供は。お前、リーリア国のものではないな」
「ボクはリーリア人だよ。それにこうみえてもこう見えても、君より年上だよ」
 そうこの子は十四、五。まだ少年の域を達してなく幼さが残る。
 しかし彼はボクを一瞥すると鼻先で笑った。
「嘘だ。お前奴隷かなにかだろう?」
「ボクが奴隷! 失礼な!」
「失礼はどっちだ、私はこの国の……」
「フィス王子、今の言葉聞き捨てなりませんな!」
 言葉を断ち切ったのはゲイル兄さんだった。
 ん?
 今、兄さん、この子のことフィス王子って、いってなかった? 
 ――って、ことはこの子ってリーリア国の王子!
 ゲイル兄さんは厳しい声でいう。
「この船には奴隷なんて存在しない。船のものはみな私の家族です。それに奴隷は禁止されている!」
 とたん、フィス王子はサッと膝をつき頭をさげた。
「カスシス提督……、失礼いたしました。たしかに提督のおっしゃるとおりです、なにとぞお許しください」
 ボクは目を瞠る。
 リーリア国の王子が兄さんに頭をさげるなんて!
 ブラウンの瞳をまっすぐ兄さんをむけて。 その眼差しはどこか憧れと敬意を示し澄んでいた。
「……まあ、お立ちください。解ってもらえれば十分です。それに王子に頭をさげられると調子が狂います」
 穏やかな表情になった兄さんをみて王子も表情に笑みがこぼれた。
 ゲイル兄さんはボクとカイを手招く。
「紹介します。この子たちは私の弟、ラルス・カスシス、そしてカイ・カスシスです」
「男?」
 王子はボクをみて訊ねる。
「まあ、表向きはですがね。
 王子と年が近いので気安いと存じます。仲良くしてやってください――ラルス、」
 兄さんにうながされてボクは王子に手をさしのべる、愛想をうかべて。
「というわけで、ボクのことはラルスって呼んでね、よろしく、王子」
 王子はしぶしぶ握手あくしゅをした。
「ああ、ぼくはフィスリア・リーリア。この船の副官ふくかんを務めることとなった、よろしく」
「え? 副官、この子がぁ!」
 驚くボクとカイ。
 フィス王子は不敵な笑みをうかべた。

      ★ ☆ ★

「へえ、これが提督の妹さんね、あ、こっちが弟か」
「あのボクが妹なんだけど……」
 ボクは人差し指でこめかみをかきつつ訂正ていせいをいれた。
 ボクだってけっこう美形な分類にはいるはずなのに……。
 ボクとカイは船医の助手をつとめることになった。
 基本的には洗濯と剃髪などの手伝い。
 船の上は清潔は保たれない。だからすこしでも助手はほしい。
 この船の船医であるフェイク・ドクターはゲイル兄さんの親友なのだけどちょっとかわってる…。
 生まれは中央国ナトリア。そのためかボクの肌の色とは微妙に違い薄茶色っぽい。
 容貌は中性的で薄い唇に切れ長な眼、長いまつげに隠れるのはパープル・アイ。
 体格は長身で肩幅は広いけれど、どこか色っぽいしなやかさがある。
「ドクターは男なの? 女なの?」
「どっちだとおもう?」
「わかんないからきいてるの!」
「わしも、わからん」
「え?」
 目を点にするボクたちをみてドクターは苦笑した。
「うそ。でも、わしゃぁ、その反応が大好きで絶対に教えないのじゃ」
 ボクは腕を組んで、うーん…と唸って見せた。
 ボクはもの心つく前からいろいろな言葉が行き交う港町に預けられていたから語学堪能なのだけど、ドクターの言葉は完璧なリーリア語なのに。
「…………、ねぇ、なんで一人称がわしゃぁ、なの?」
「ああ、リーリア語を教えてくれた人がすごい老人でね、うつってしまったのじゃ」
「私、っていえるんならそうすればいいのに」
「ラルスだって、『ボク』じゃないか。なかなか自分を表現する言葉はぬけないものじゃよ」
「――たしかに」
 ボクは妙な納得をおぼえた。
『ボク』という一人称もじつはリーリア語とは微妙に違う。
「まあ、とりあえずよろしくということで……」
 ドクターはボク達に果物をのせた皿をしめした。
「さあ、たんとおたべ」
 いただきます、といって手をつけようとしたけれど、部屋の隅におかれてあった木箱をみてハッとする。
「ね、ドクター、これって船の積みになんじゃないの?」
「そう、交易品」
 さらり、とドクターはいう。
「いいの?」
「気にしない、気にしない。それに育ち盛りの子供はいっぱい果物をとらなくちゃいけない。そうしないと船の上では病にかかりやすくてぽっくり死んじゃうからねえ。ラルスたちがそんなことになったら、わしゃ提督に殺されかねんて」
「ドクター……」
 ボクとカイは目を見合わせてくすくすわらって、果物を口にする。
 とても酸っぱいけれど後味ひくリークの実。
 リーリア国特産品となっている。
 リークっていう語源は『女神の祈り』という意味。
 船乗りの間には、この実を食べると病もなく無事に航海できると信じられてる。
「じつにこの果物は不思議だ。普通船の上で野菜や果物は腐りやすいのに百日はほぼ新鮮で干しておけば非常食にもなるんだからのぉ。この果物をいちどゆっくり研究してみたいわい」
 赤くつるんとしたリークの実を、宝石を見るような目でドクターはいう。
 そのとき、出航の鉦がなり始めボクとカイはハッとして甲板へとあがる。
「帆を張れ!」
 兄さんの声が高々にひびき、それに答える「アイサー!」の声!
 たたまれていた帆がばさっと重く落ちて、水夫達が手早く準備をほどこす。
 同時に強い風を帆が受けとめた。
 ――出航。
 ボクは見送りにきている人々のなかに父さま、母さま、そしてお爺さまの姿をみつけた。
 ボクは船縁に駆け寄り大きく手をふる。
「母さまー! 父さまー! お爺さま!」
 三人はボクの姿をみつけて笑みをくれる。
「行ってきます! 必ず戻ってくるから!」

 ――そう必ずこの国に家族の元に還る!

 そう再び決意した。

 青い空に帆を張って大海へ漕ぎだすラティナ号。
 この日、ボクの冒険がはじまり、そして運命が動き出したのだった。




 


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